「変化を望む」とは本来、誰かに期待することではなく、自らの思考と行動によってその変化を形づくろうとする姿勢を指すのではなかろうかと。その意味で、単に誰に投票するかという選択に終始するのではなく、自分自身が社会に対してどのように働きかけられるかを探ることこそ、「参政権の行使」だと思う。
「誰に、どの政党に期待できるのか」と考えて投票することと、
「誰がどういう変化を起こせるのか」という見極めをもって投票することはまったく異なるということ。
こういうことばのニュアンスや使い方。
これを学ぶために、占いスクール(まともなね)は存在していると言っても過言ではない。後々、占師の技量に響いてくる。
参政党の街頭演説に熱気をもって集う人々を見ていると、「変化を望んでいる」というより、「誰かに期待したい」空気のほうが色濃く映る。そしてその期待が叶わないとわかったときには、「こんなものか」「世の中は変わらない」と熱も数もしぼんでいく。政治への本質的な参加はおろか、感情的な消費のようでもあり。
私自身、政治に大きな期待を持ちはしない。それでも個々の「参政権」を放棄する気はなく、ただ静かに、それでも確かに、より有意義な「市民の政治参加」の在り方を模索したいと思っている。変化への術を持たない人間のひとりとして、切にそう願っている。
JTSでは占術を社会でどう役に立てるか、という観点を大切に活動しています。ゆえにある程度やはり社会、政治、経済についても学び、参加したいものです。
近く、31日木曜日に集会があるので、こういった政変などを占的にすることについても考えてみたいですね。
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ま、そもそも、石破氏の総理就任自体が、異例といえば異例でしたよね、彼の政治的歩みや自民党内での立ち位置から、「この人物が総理になるとは」と驚きをもって受け止める声もありました。それでもなお、党内の緊張感や手詰まり感が、その選択を後押しした背景にあったわけです。
やはりそこには、改革や刷新への「期待」を抱いて彼を歓迎した人々もあったことでしょう。しかし現実には、これまでの総理と大きな違いが感じられず、変化の兆しをつかめないもどかしさが広がった。
変われない―これが今の日本社会のまさに象徴です。
根深い問題――性別やセクシャリティへの偏見、いじめの構造等々、そんなにものごとは容易には変わらない。
外交も経済も、石破氏でなくても誰もができない。冷めた表現をしているのではなくて、「人」ではないんだってこと。だからもしここで何か占術をほどこしたいのであれば、占的は「誰/WHO」じゃない。
経過図には「発展」や「革新」の明るい流れも出てはいない。むしろ停滞や見直しを促すものとして読めるかもしれません。自民党の支持が揺らぎ、不満の矛先が新たな政党に向かうという流れは、ここへきての突発的なものではなく、時代の空気や集団意識が作り出した自然な動き。で、ここで占うべきことは何なのか?
ま、センスある若人などがいらしてもうれしいですし、よっしゃと占的をしぼってくださるベテラン陣の先生方も、ご参加お待ち申し上げます☆彡
JTS井上でした