ナディア・オフィスのBLOG

ステラ・マリス・ナディア・オフィスの話題、お知らせ、告知etcのBLOG

朝ドラ「あんぱん」の寛先生最期のことば

家族の死と向き合うことを考えさせられました。寛先生最期のことばは、全人類の親代表として、といったイメージでした。

www.msn.com

主演の竹野内豊さんがおっしゃられていたこちらのおことばも深く。

寛自身は一人の医者として今まで多くの人と出会い、様々な人生の在り方や終わり方を見届けてきたはずで、自分なりの死生観を持っていたんじゃないでしょうか」と解釈した。

 

人生というのは、ほとんどが自分の思い通りにはならないことの方が多かったりするのではないでしょうか。でも、年を重ねて自分の道を振り返った時、意味がないと感じた時間にも実は大切なことが詰まっているんじゃないか。だから、自分がやりたいと決めたことは、自分を信じて途中でサジを投げない。結果よりも、目標に辿り着くまでのプロセスが大事で、価値のあることだと思います。そういう気持ちを腹の底に置いて、台詞に込めました

 

 

親であれば親を中心とした人間関係があって、子どもも含め100人出会いがあったとして、子どもはその100分の一なんだと、私自身母が亡くなったときにふと考えてもみました。

そして親は、子どもが子どもなりの人生を生きてくれていればそれで、ただそれだけでいい、と。ぶっちゃけどこでどうしていようが―現世では世間体だのなんだの出てきがちですが、もう魂レベルになっていくいまわの際では。

 

先に行く者、後に残される者にはそれぞれ温度差があるような。未だに私自身そう自分に言い聞かせ、亡き母に対して何もしてあげられなかったという、ある意味尊大な気持ちを打ち消すようにしております。。

 

残されたほうが思いを引きずるのですが。。人としてのそれはまた熱を持った当然の思いです。

先に行ったほうは、もう別のところで、肉体もなく、また違った意識を抱いている。。熱があるのかないのか、おだやかなエリアに入ってと言いましょうか。

 

わたしたちは、先に行った方から「たくされたもの」があります。それを精一杯がんばることを、ただただ見守っている。安らかな笑みととともに、だいじょうぶだいじょうぶよと。

 

とくにマルセイユ・タロットでは男女2人の親からさずかった遺伝子を大事にせよという絵札があります。

まだそれは追って後述する番がくるまで、、もちろん「マルセイユ・タロット教室」(国書刊行会)をお読みいただければすぐに。

 

 

 

昨日は「女教皇」をオフィスサイトに

stella-office.com

アップしております☆彡