チリンのすず特集では「親殺し」とざっくばらんな表記を取らせていただきましたが、これは法律上「尊属殺人(そんぞくさつじん)」と定められたものであることをご存知の方も多いのではないでしょうか。
尊属殺人
Wikipediaによれば尊属殺人(そんぞくさつじん)とは、
「祖父母・両親・おじ・おばなど、親等上の父母と同列以上にある血族(尊属)を殺害すること」です。
対して「卑属殺」が「子や孫殺し」で、「親子間の殺人事件の処罰のあり方については、その時代における様々な社会的諸条件のもとに定められてきた」とも書かれています。
時代の移り変わりによって、定義や刑罰に変容が見られるわけです。
こと記憶に新しいのが、NHKの朝ドラ「虎に翼」の中で、実際に昭和43年に栃木県で起こった家庭内の父親のDVに端を発した娘による尊属殺人事件という実話がドラマに織り込まれていた件。
当時の尊属殺は刑法200条により「死刑および無期懲役のみ」とされてきたのですが、その刑法そのものが、三審の大法廷で違憲とされ、無効化されたという実話のまま、ドラマも結ばれておりました。
歴史とは、徐々に徐々に変わりながら、グンと大きなうねりを生じさせて一気にくつがえっていくかのように見えるものなのですね。
ムーヴメントが世の中を塗り替えていく。
それが悪しき習慣へとはならないように、何気ないわたしたちひとりひとりの言動が大きな動きになっていくことに、意識を及ばせていたいですね。
※こちらのサイトでは栃木県の事件が詳細に
https://president.jp/articles/-/86168
最高裁判事は15人、内1対14で、尊属殺についての刑法200条が違反して無効、と結審された
やはり1人は、最後まで従来通り違憲ではないと主張した人がいた。。すごくこの1という数字にも重厚さをも感じてしまう
「刑法二〇〇条は、かかる所為は通常の殺人の場合より厳重に処罰し、もって強くこれを禁圧するため、その法定刑がとくに厳しいことはむしろ理の当然である。」
というのが、その判事のことばだったとのこと。
本当、もう何が正しいとか、数字で割り切れる世界ではないのが私たちの日常です。ロボットの世界ではないのです。生身の生き物なのです。
「理詰め攻撃」はご勘弁いただきたい。
で、日本同様、古いギリシアの社会も、尊属殺はあってはならないことでした。
意図的であろうと事故であろうと、という一文がまた気になりますが、父親を殺すという行為は、「ギリシャ社会の基本的な構造に対する脅威」であって、もっと言えば、5世紀頃には、年老いた父親を養わなかったというだけでも、その個人は訴追の対象となっていたとのこと。
なぜか?「父系相続」に由来するとのこと!
そのような殺人は社会全体に関わることだと、重罪なわけです。。
いやしかしそれは、父だけでは子は産めんだろう!イイカゲン、男系男子はもう。
エディプスコンプレックス
さてさて「親殺し」と言えば、もうひとつのキーワード「オイディプスもしくはエディプス・コンプレックス」もよく知られていますね。
こちらはかの精神分析の大家ジークムント・フロイト(独: Sigmund Freud 、1856年 5月6日 - 1939年 9月23日)による、父親を排除したいと願う男児の深層心理の提唱。ギリシャのオイディプス神話(WIKIpediaへ)から着想を得て、フロイト派では男女ともに適用される用語とあります。
確かに、多くの家庭で一時、父親と成長した男児たちは対立の構図を取るもののよう。
女児であっても、子どもであれば誰しもいつかは、親の配下から自立したいと願うようになる、そして、とくに親のほうに何らかの問題がある場合などにはより一層子どもは親に対してきびしく、その存在を排除しようとする・・・自らを産み落とし、育て、ある意味制圧してきた存在だからと、反動としての心理はよくよく理解の範疇です。
野生の動物たちはそこまで複雑化しはしないでしょうが、まあこうして、あらゆる生物体が親離れして自活するようになる、物心つきながら子どもがアイデンティティを形成しつつどのような人生を歩むべきなのか、決定づける一要因にもなりえる、「どんな親にどう育てられたのか」という課題はもう万人のもの。
どんな親がいいとか、環境がいいとか、もう完璧なものなどありはしません。ここは皆で乗り越えましょう。
若い人には、うまく、親に反抗しながら、親を成長させる!そんな子どもであってほしい。親は親でちゃんと反省できる大人であってほしい。
私子どもいないしカンケーないしとも言われそうですが、「産み、育てる」ものとは、自分の子どもに限りません。産めばいいというものではないという、ギリシア神話の教えでもあり。
幼少期からティーンエイジャーの反抗期、あって然りの健康的なその変容であって、心理学の世界では、ここを親子ともどもスムーズに通過できないと少々やっかいなものだとされている。
「反抗期がない」なんてのはもう言語道断ぐらいに扱う心理学者もおられる次第。
そうかといって「積み木くずし」のようでもまた問題・・・。
いやはやです。そんなに誰しもがいつでも何ごとにもホドホドに、ちょうどよく、なんて・・・できないものなんです。「ちょうどよさ」を感じるのは受け手のほうですからね、当人はただ自由に、やりたいように、感性のままに、生きているだけだったりしますでしょう。
というわけで、自分の都合で「ちょうどよさ」をあまり他人様に求めないことなのでしょう。
その「ホドホド」感、距離の置き方にもたとえば、12星座のロジックは大いに役立つものです。
たとえば12星座に対応している色があります。
星座ごとに感性がことなります。心に落ち着きをもたらす色、どういう色を基本的に好むのか等々、子育て、人間関係にぜひ、ご活用いただければ!
色々開講しておりますので、ストアカならではの気軽さで、どうぞお気軽に!
★オフィスサイトに易道学校の井上
もアップいたしました。
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